駿遠線のB-15は立山重工業株式会社で戦後作られました
立山重工業株式会社の詳細は別にして、今日は富山市のどこにあったのかを調べてみました
本社のあった場所は「富山市下奥井1丁目」のようです
立山重工業は後に大谷製鉄株式会社となりました
Googleマップで「下奥井1」を検索します
赤線で囲まれた場所が「下奥井1丁目」です
国土地理院の空中写真より
昭和21年7月22日撮影 下奥井1丁目付近です
立山重工業(株)では「B-20」を昭和21年11月に10台の内4台を完成させています
下の写真は上部が富山駅 そして富山の中心街は昭和20年8月2日の大空襲で破壊されています
もう少し判りやすい写真は昭和27年11月9日撮影
(昭和27年には立山重工業(株)は倒産して精算中です)
左下の下奥井駅から引込み線が工場の中に延びています
しかし、この工場は「下奥井2丁目」にあります
時は移り昭和50年9月6日撮影
富山港線 下奥井駅付近
大谷製鉄株式会社となり盛業中です
さらに昭和63年12月、大谷製鉄株式会社は富山県射水市に全面移転しました
今現在の写真をもう一度見てみましょう
大谷製鉄所の工場は「下奥井2丁目」
ストリートビューで確認すると
空き地になっており「大谷製鉄株式会社」の看板が掲げてあります
そして向かい側の空き地は
「大谷製鉄株式会社 管理地」となっていました
立山重工業株式会社の本社社屋は富山市下奥井1丁目にあり
工場は下奥井2丁目にあったと判断をして良さそうです
戦後復興に向けてB-20 B-15 尾小屋のC-15 そして国鉄向けの貨車などを
作っていましたが1500名を越える従業員を抱え、倒産に至りました
昭和20年代の写真には本社付近には社宅らしき建物も写っています
今日は終戦記念日 75年経ちました